神仏霊場・表紙 > 大阪・豊楽の道 > 四天王寺・1

神仏霊場を行く
大阪・豊楽の道
神仏霊場のロゴをクリックすれば表紙に、大阪・豊楽の道をクリックすれば大阪霊場の目次に戻ります。
大阪第2番
宗 派 和 宗
本 尊 紅世観世音菩薩

四天王寺・2へ 四天王寺・3へ
大阪再発見 四天王寺へ
参拝メモ
[参考資料:小学館ウィークリーブック『古寺を行く・四天王寺』]

四天王寺は、聖徳太子が593年(推古天皇元年)摂政皇太子として、最初に建立した寺院である。
  父用明天皇の崩御後、皇位の継承をめぐり崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏が争った時、当時14歳の少年だった太子は馬子等の崇仏派のために、白膠木(ヌルデ)の木で四天王像を造り、仏の加護を祈願した。戦いに勝利した太子は、593年(推古天皇元年)摂政皇太子となり、難波(なにわ)の荒陵(あらはか)の地に日本最初の官寺を建立した。
  太子一族滅亡後も寺は朝廷から重視され、官寺として経営された。奈良時代末には太子一代の絵物語が描かれたと伝え、後世の太子信仰の素地ができた。平安時代以降、皇族・貴族の参詣が相次ぎ、太子を慕う空海親鸞一遍叡尊忍性ら多くの高僧の来寺もあり、当寺は宗派を超えた信仰の場として発展した。836年(承和3年)の落雷による火災以来、自然災害・兵火による伽藍の焼失・倒壊を繰り返すが、その都度復興を遂げてきた。1945年(昭和20年)の戦災で、堂宇の大半を焼失したが、現在の中心伽藍は1963年(昭和38年)鉄筋コンクリート造りで復興された。

四天王寺石の鳥居&極楽門 四天王寺南大門
石鳥居(国重文)と極楽門(西大門)。鳥居の創建は平安時代中期と推定され、元は木造だったが、1294年(永仁2年)当時別当だった忍性上人により、木造から石造に改められた。 南大門。国道25号線に面しており、四天王寺の正面入り口であるが、地下鉄や、JR天王寺駅からは遠いためか、多くの人は石鳥居からお参りする。
四天王寺五重塔&金堂&講堂 四天王寺石舞台&六時堂
中心伽藍の五重塔金堂講堂。下の写真の仁王門を含め、一直線上に伽藍が配置されており、四天王寺式と呼ばれ、日本で最も古い様式とされる。 六時堂石舞台(共に国重文)。六時堂は1623年(元和9年)建立の、椎寺薬師堂を1811年(文化8年)に移築。
亀の池の橋上にある石舞台は、1623年それまでの素木(しらき)造りから、石造りに変えられた。

四天王寺仁王門 四天王寺金堂 四天王寺講堂
四天王寺中門。仁王像を安置しているところから、仁王門とも呼ばれる。 四天王寺金堂。本尊の救世観音と仏壇四隅には四天王像を安置する。 四天王寺講堂。堂内の西側を夏堂(げどう)、東側を冬堂(とうどう)といい、夏堂には阿弥陀如来坐像、冬堂には十一面観音立像を安置する。
西重門 龍の井戸 天井に描かれた竜の絵
西重門。中心伽藍への出入り門。 中心伽藍内にある龍の井戸。井戸を覗き込むと天井に描かれている龍(右の写真)が水面に映るようになっている。
極楽門(西大門) 石舞台と楽舎 元三大師堂
極楽門(西大門)。この門は極楽浄土への入口とされ、彼岸の中日には石鳥居の西側の海に沈む夕日を拝する聖地として、多くの人々の信仰を集めてきた。 石舞台楽舎(石舞台に面した低い屋根の建物。その向こうは中心伽藍の講堂)。四天王寺の石舞台は住吉大社・厳島神社とともに三大石舞台といわれている。楽舎には古い装束や舞楽面が保存されている。 元三大師堂(国重文)境内北側の霊園の中に建つ。第18代天台座主であり、比叡山中興の祖といわれている元三慈恵大師良源を祀る。1618年(元和4年)建立。
四天王寺大黒堂 英霊堂 東大門
大黒堂。本尊は大黒天・毘沙門天・辯才天の霊験を持つ三面大黒天を祀る。英霊堂に並んで建つ。 英霊堂。1906年(明治39年)の建立。建立された時は当時世界一大きいとされた大梵鐘が釣られていたが、先の大戦時供出された。その縁により、戦没英霊を祀る。 東大門。元は国宝であったが、先の大戦の空襲で焼失、現在の門は戦後の再建。

ご朱印
四天王寺朱印