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大阪第6番
法楽寺
宗 派 真言宗泉涌寺派
本 尊 大日大聖不動明王
大阪再発見・法楽寺へ
参拝メモ
[参考資料:『法楽寺略記』法楽寺パンフレット、『日本歴史地名体系(大阪府編)』平凡社]

法楽寺は寺伝によれば、1178年(治承2年)小松の大臣と呼ばれた平重盛の開創と伝える。翌年重盛は熊野参詣の途次落慶法要を営み、平治の乱で没した源義朝の念持仏如意輪観音像を安置し、源平両氏の菩提を弔った。

1571年(元亀元年)織田信長の兵火により全焼したが、1585年(天正13年)平盛家が仮復興し、1609年(慶弔14年)片桐旦元の検地で東西43間・南北53間半が境内除地となる。1678年(延宝6年)河内・野中寺より洪善普摂が入寺、1711年(正徳元年)には本堂を上棟するなど本格的復興を行った。この時の山門や本堂はパンフレットによれば、大和・松山藩織田家の建物を譲り受け、再建に用いたと伝え、松山藩主は織田信長の次男、織田信雄を祖とし、信長兵火により焼失した堂宇をその遠孫の殿舎で復興したのは奇しき因縁であるとしている。  

18世紀中ごろの梵学研究で第1人者で、河内・高貴寺を中興した慈雲は当寺で得度出家している。当寺中興2世忍綱の命により、伊東東涯の門下となり、大和諸寺へ遊学後当寺中興3世となった。

法楽寺山門 法楽寺本堂
法楽寺山門。1711年(正徳元年)大和・松山藩(現奈良県宇陀市大宇陀)織田家の建物を譲り受けた。 法楽寺本堂。この本堂も山門と同様、大和・松山藩の殿舎を移築した。
法楽寺三重塔 法楽寺大師堂
法楽寺三重塔。1996年(平成8年)の落慶。この塔は平重盛が中国浙江省にある阿育王寺から贈られた「紫根二顆」と呼ばれる仏舎利納める
ために建てられた。
法楽寺大師堂。現在の大師堂が老朽化のため、新しく建て替えられた。弘法大師・真言八祖絵像を祀る。
手前の石碑には四国八十八カ所の本尊が刻まれている。
三重塔の本尊金剛界大日如来像 水掛け不動 鐘楼
三重塔の本尊金剛界大日如来像、脇侍は不動明王・愛染明王。(この写真は今回の参拝で撮影したものでなく、2006年8月に参拝したとき開扉されていた) 水掛け不動。中央に不動明王、脇に制多迦童子(せいたかどうじ)、矜羯羅童子(こんがらどうじ)を祀る。 鐘楼。18世紀前期に建立したとみられる。
楠大明神 秋葉大権現 納骨堂
大楠(下の写真)の根元に祀られている楠大明神。 秋葉大権現。当山の鎮守。 納骨堂。
樹齢800年の大楠 水位測定標柱 田辺大根の碑
樹齢800年の大楠。1981年(昭和56年)「大阪府指定天然記念物」の指定を受けている。
樹高26m、幹外周8m。枝葉外周26m。
境内に建つ「水位測定標柱」。文久元年(1816年)の記銘があり、目盛が刻まれている。この付近の川が氾濫したときに建てられたのかと思っていたが、かっては芦屋川にあったものらしく、ここに建てられた経緯についてはよく解らないとのことだった。 「田辺大根ゆかりの地」の碑。江戸時代、田辺地域は大根の生産地で、法楽寺周辺も土質が良く、「横門大根」(当寺の西門に因む)として名を馳せたという。大阪でもご当地野菜が見直され、2000年頃より再び栽培が始まっている。
ご朱印