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奈良・鎮護の道
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奈良第1番
東大寺・1
宗 派 華厳宗 大本山
本 尊 盧舎那仏
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参拝メモ
[参考資料:『奈良・大和の古寺あるき』 実業之日本社]

東大寺の創建は728年(神亀5年)聖武天皇が皇太子の基(もとい)親王を弔うために建立した金鐘寺まで遡る。その後、741年(天平13年)に国分二寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、金鐘寺は大和国金光明寺に昇格した。 
 743年(天平15年)大仏造の詔が出され、翌年より近江国紫香楽宮で始まった大仏造立は大和国金光明寺に変更されたのちに、東の大寺(東大寺)と呼ばれるようになり、752年(天平勝宝4年)盛大に開眼供養会が執り行われた。 その後も東塔や西塔などの伽藍が作られ、東大寺としての七堂伽藍が整ってきた。
 平安時代には大地震や失火、1180年(治承4年)平重衡の南都焼打ちなどで大仏や伽藍に大きな被害を受けるが、真如法親王重源上人などの努力で復興した。 戦国時代の1567年(永禄10年)には松永久秀の乱で伽藍の殆どが灰燼に帰したが、公慶上人の努力などで江戸中期にやっと復興した。

・更新記録
 '13・09・11 最下段2行 写真追加
鏡池から中門、大仏殿を望む 大仏殿
鏡池から中門大仏殿を望む。池にはコイ科の淡水産硬骨魚ワタカが棲息し、奈良県天然記念物に指定されている。 大仏殿(国宝)。江戸時代に再建された世界最大の木造建築。
南大門 八角灯篭 灯篭に浮彫されている音声菩薩
南大門(国宝)。現在の門は鎌倉時代の初め重源上人が再建。
1199年(正治元年)に上棟、1203年(建仁3年)には門内に安置する
仁王像とともに竣工している。
大仏殿前に建つ八角灯篭(国宝)。天平の創建当初から大仏殿を見守ってきた。右の写真は灯篭に浮彫されている音声菩薩
転害門 戒壇院 鐘楼
転害門(国宝)。762年(天平宝字6年)の造営と伝え、
東大寺創建以来の建物である。
戒壇院。754年(天平勝宝6年)来日した鑑真が我が国に初めて正しい戒律を伝えた。来日当初は大仏殿前土壇で戒律を授けた。現在の建物は江戸時代の再建。 鐘楼(国宝)。栄西禅師が承元年間(1207~11年)に再建。吊られている梵鐘(国宝)は東大寺創建以来のもので、重さ約26トンもある。
東大寺二月堂 東大寺法華堂(三月堂) 東大寺三昧堂(四月堂)
二月堂(国宝)。毎年旧暦2月に修二会(お水取り)が
行われることから二月堂の名がある。
法華堂(国宝)。東大寺建築のなかで最も古く、 旧暦3月に法華会が行われ、法華堂、また三月堂とも呼ばれる。天平期の正堂と鎌倉期の礼堂からなる。 三昧堂(国重文)。現在の建物は1681年(延宝9年)の再建。毎年4月に法華三昧が行われるので四月堂とも呼ばれる。
大湯屋 念仏堂 行基堂
大湯屋(国重文)。奈良時代の創建。1180年(治承4年)の兵火で羅災。1197年(建久8年)重源上人が再建。1408年(応永15年)惣深上人が修理を加え、1937年(昭和12年)解体修理が行われた。 念仏堂(国重文)。鎌倉時代の建久年間(1190~1199年)の建立。本尊は木造千手観音立像(国重文)。 行基堂。公慶上人の発願で江戸時代に作られた「行基菩薩坐像」を安置。
俊乗堂 指図堂 勧進所(塔頭・清涼院)
俊乗堂。公慶上人が重源上人の遺徳を讃えて「俊乗堂」を建立。 指図堂。法然上人25霊場の第11番札所。大仏殿の西側に建つ。1180年(治承4年)に大仏殿が兵火に罹り炎上したとき、法然上人の勧めで重源上人が、大勧進職について再建工事を指揮した堂と伝える。 勧進所(塔頭・清涼院)。指図堂と道を隔てて建つ。
1686年(貞享3年)、露座のままだった大仏の修理、大仏殿の再建のため、公慶上人は勧進所を建て、復興の寺務所とした。勧進所内には同年建立の阿弥陀堂のほか、公慶上人の肖像(重文)を安置する公慶堂がある。
不動堂 勧学院 東大寺ミュージアム
不動堂。室町時代の建造物。「法華堂(三月堂)」の裏手に建つ。
ここでは観光客はほとんど見られず静かな佇まいである。
勧学院。東大寺ミュージアムと道を隔てて建つ。各方面で活躍されている先生方を講師に招き、仏教や文化の講座を開講している。 東大寺総合文化センター。南大門をくぐった西側に建つ。図書館、ミュージアム、収蔵庫、寺史研究所、華厳学研究所、金鐘会館などからなる複合施設。
2011年(平成23年)10月にオープンした、東大寺の中で最も新しい建物である。
     
ご朱印
東大寺朱印