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談山神社正面入り口の鳥居。本殿までは階段が一直線に伸びている。 |
楼門(上の写真)。拝殿、東西透廊(右側の写真)いずれも国重文。旧多武峰寺護国院。1520年(永正17年)の造営、1668年(寛文8年)に再建された。 |
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閼伽井屋(あかいや:国重文)。内部に石組の井戸(摩尼法井)がある。往古、定慧が法華経を講じた時、龍王の出現があったと伝わる。1978年(昭和53年)の解体修理で、元和年間(1615~23年)の再建時の姿に復元された。 |
西宝庫(上の写真)、東宝庫(右の写真)いずれも国重文。本殿に向かって左右に位置する同形式の校倉造りの宝庫は1619年(元和5年)の造営。 |
右の2葉の写真は神殿拝所に祀られていた鎌足公神像と梵鐘。 |
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鎌足公神像。江戸初期の作。この像は明治初年の廃仏毀釈で廃寺になった飛鳥の藤原寺より移された。右側の小さな像は鎌足の化身と言われる勝軍地蔵(室町時代
の作)。左側に不比等像を安置する。 |
銅梵鐘(奈良県文化財)。「元享三年(1323年)鋳造」の願主銘があり、「応永二十三年(1416年)の追銘」も見られる。 |
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菴羅樹(あんらじゅ)の木。定慧が唐の国より持ち帰った霊木と伝わる。花は無数に咲くが、結実の少ないことから、宗教上の悟りの困難さを示唆する木とも言われる。
説明板には折口信夫の歌が添えられていた。
『人過ぎて 思うすべなし 伝え来し 常世の木の実
古木となれり』 |
後醍醐天皇の寄進と伝わる石灯篭。
竿の部分に南北朝の動乱が始まった「天徳三年(1331年)」の刻銘がある。 |
東大門(奈良県文化財)。脇塀の垂木の墨書より1803年(享和3年)建立と認められる。杜寺(もりでら)の山門に城郭風の門が用いられた数少ない遺構。 |