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奈良・鎮護の道
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奈良第19番
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真言宗塔頭
[参考資料:『當麻町史』當麻町、各塔頭パンフレット&現地案内板]

當麻寺は真言宗と浄土宗の異なる宗派が塔頭として併存している。江戸時代の境内絵図では30を超える塔頭が確認されるが、現在の寺院内には真言宗5ヶ院、浄土宗8ヶ院の計13の塔頭がある。
 2つの宗派が存在しているのは、先ず824年(弘仁14年)に弘法大師がこの地を巡錫、曼荼羅を拝した。この時中之坊実弁が大師の弟子となり、以来それまでは弥勒菩薩坐像を本尊とする三論宗だったが真言宗に宗旨替えをした。現在真言宗の塔頭は、中之坊西南院・竹之坊・松室院・不動院があり、太字の寺院は常時公開されている。


塔頭・中之坊  中之坊は當麻寺が開創された際、役行者が熊野権現を勧請し、出現したその場所に自身の道場を開いたことに始まる。奈良時代以降、代々當麻寺別当の住房として受け継がれ、當麻寺内で最も古い由緒と高い格式を伝えている。中条姫に係る遺跡も多い。
中之坊山門 中将姫剃髪堂(本堂) 中之坊庭園:香藕園
中之坊山門。門札には「真言宗別格本山」、傍らには
「国宝 中之坊書院茶席 名勝及史跡 當麻寺中之坊庭園」の石標が建てられている。中之坊の書院・茶席は現在は国の重文だが、「昭和十年国宝指定」とあり、戦前は国宝だったらしい。
中将姫剃髪堂(本堂)。奈良時代、中将姫が剃髪した授戒堂と伝え、建物は桃山時代の再建。平安時代に中将姫の守り本尊である十一面観音刻み、本尊(導き観音と呼ばれる)とした。 中之坊庭園(香藕園:国名勝・史跡)。香藕園(こうぐうえん)は、古くより大和三大庭園(竹林院、慈光院)と称される池泉回遊式兼観賞式庭園。鎌倉時代に起源を持ち、桃山時代に完成。江戸時代初期、後西天皇(在位:1654~63年)を迎えるため、片桐石州により改修された。
役行者加持水の井戸 中将姫誓いの石
秘薬「陀羅尼助」精製の釜。「陀羅尼助」は今より1300年前に役行者が精製した胃腸の妙薬で、日本最古の和漢薬とのこと。この釜は数10代にわたる住僧が、幾度となく補修・改修を重ねながら、1982年(昭和57年)まで用いられた。 役行者加持水の井戸。役行者が秘薬「陀羅尼助」を精製したとき、水を清めて用いた井戸と伝わる。 中将姫誓いの石。一心に仏道を志す中将姫の強い信念により、不思議にも石に足跡が付いた。「女の一念 岩をも通す」・「思う念力 岩をも通す」の諺はここから来たのかもしれない。
髪塚 境内鎮守社 稲荷神社 中之坊境内に建つ芭蕉の句碑
髪塚。中将姫が下した髪で「六字名号」を刺繍した故事に因んで建立された塚。 境内鎮守社 稲荷神社。稲倉魂命を祀る。 中之坊境内に建つ芭蕉の句碑。「僧朝顔 幾死にかえる 法の松」 中之坊の山門前にある来迎松は『野ざらし紀行』には、「二上山当麻寺に詣でて、庭上の松を見るに、凡千歳も経たるならむ、大さ牛を隠す云へけんかれ。……」とあり、その大きさは牛も隠すほどになっていた。


塔頭・西南院  西南院は當麻真人国見が万法蔵院禅林寺を、當麻寺と名を改め現在地に遷した時、裏鬼門の守り寺院として創建されたのが始まりである。その後弘法大師が当院に留錫し、曼荼羅堂において「いろは歌」を想念したといわれる。
西南院山門 西南院本堂 西南院見晴らし台から双塔を望む
西南院山門。「関西花の寺」21番霊場になっており、四季を通じて色々な花が楽しめる。 西南院本堂。本尊は十一面観音菩薩立像(国重文、平安初期)を始め、聖観音菩薩像(国重文、平安初期)、千手観音菩薩像(国重文、平安中期)を祀る。 西南院のみはらし台からは西塔(手前)と東塔が望まれる。
西南院庭園 西南院庭園 境内に祀られている脳天仏
西南院庭園。パンフレットには「江戸初期に造られたものを、中期ごろ一音法印によって改修された池泉廻遊式庭園」。とあったが、一音法師についての説明はなかった。 境内に祀られている脳天仏。「首から上の願い全て成就す」とあった。

塔頭・竹之坊

塔頭・不動院

塔頭・松室院
塔頭・竹之坊 塔頭・不動院 塔頭・松室院
松室院は平安時代に創建された当麻寺の塔頭であり、藤原期の十一面観音を本尊とする。1929年(昭和4年)に中之坊客殿として再興され、著名な画家により天井絵が寄進されている