奈良第19番 | |
宗 派 | 高野山真言宗 浄土宗 |
本 尊 | 當麻曼荼羅 |
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[参考資料:『當麻町史』當麻町、『奈良・大和の古寺歩き』実業之日本社] |
當麻寺の創建が、縁起となって表れるのは鎌倉時代になってからで、しかもその起源は書物により少しずつ異なる。1531年(享禄4年)に著された『當麻寺縁起絵図(国重文)』には、612年(推古天皇20年)に用明天皇の第3皇子麻呂子親王よって、河内の交野郡山田郷に創建された万法蔵院禅林寺*(注)を、681年(天武10年)麻呂子の孫の當麻真人国見が現在地に遷し、當麻寺と号したと伝える。 |
當麻寺境内から西方に二上山を望む。左に建つ鐘楼にある梵鐘は国宝。 |
當麻寺奥院から見た東塔(左)と西塔(右)。古代の東西両塔が残っているのは全国でこの當麻寺だけである。 |
當麻寺本堂(国宝:平安時代)。曼荼羅堂とも呼ばれ、本尊の當麻曼荼羅(国宝・天平時代)を祀る。 棟木墨書から1161年(永暦2年)の建立と判明、解体修理時の調査の結果、この堂は奈良時代に建てられた前身建物の部材を再用していることが判明。 |
當麻寺金堂(国重文:1184年(寿永3年)再建)。本尊の弥勒仏坐像(国宝・飛鳥時代)は日本最古の塑像。周囲を守護する四天王のうち、持国天立像、増長天立像、広目天立像の3体(国重文・飛鳥時代)は、日本最古の乾漆像。多聞天は鎌倉時代の木像。 |
當麻寺仁王門(東大門)。1774年(延享元年)の建立。 3間1戸、入母屋造、本瓦葺の楼門。 |
當麻寺講堂(国重文:1303年(乾元2年)再建)。主尊の阿弥陀如来坐像(国重文:藤原時代)を始め、平安時代から鎌倉時代の仏像群を祀る。 | 當麻寺鐘楼。梵鐘(国宝)は白鳳時代(680年代)に鋳造されたといわれ、日本最古の梵鐘とされる。 |
當麻寺東塔(国宝:奈良時代)。東塔は初層のみを3間 とし、2層・3層を2間とする構造、高さ24.39m。 本尊の大日如来像を祀る。 |
當麻寺西塔(国宝:奈良末~平安初頭)。西塔は各層とも 3間とする構造、高さ25.21m。 阿弥陀如来と弥勒菩薩像を祀る。 |
當麻寺薬師堂(国重文:1447年(文安4年)建立)。この堂は薬師門から一旦外へ出たところにある。 |
當麻寺大師堂(奈良県指定文化財:1646年(正保3年)造立)。2008年(平成20年)に解体修理が行われた。高野山から移された等身大の弘法大師像を祀る。 | 當麻寺不動堂。本瓦葺、頂きに宝珠をあげる。奥院の六角堂と同形で、円柱等は古材が使用されているが、同時期(江戸時代末)の建立と考えられる。 | 當麻寺糸繰堂(2006年(平成18年)改築)。中将姫が曼荼羅の糸を紡いだといわれる糸繰堂を再現。中将姫像を祀る。 |
當麻寺娑婆堂。小さな堂宇であるが、中将姫の命日(5月14日)に行われる當麻寺の最大の行事である練供養会式には、中将姫の現身往生を再現するため本堂(曼荼羅堂)との間に来迎橋が架けられ、25菩薩のお練りが行われる重要なお堂である。 | 當麻寺北門(黒門)。切妻造・本瓦葺四脚門、建立の時期は不詳だが、鬼瓦には宝暦11年(1761年)の銘があり、これは修理をした時のものと思われる。 | 中将姫銅像。前回訪れた時は蓮の花が一杯咲いていたが、今回は牡丹には遅く、蓮には早すぎたのか。花には縁がなかった。 |
来迎松。中将姫のお手植えと伝わる。現在は枯れてしまっているが、松尾芭蕉が1685年(貞享2年)に成立した『野ざらし紀行』には、当地出身の門人千里を伴い、当山を参拝。この松の見事さを句を残している。また1694年(元禄7年)頃には貝原益軒が参拝し、『和州巡覧記』には「本堂の下に大なる松あり、根南北に長くして東になし、快松なり」と記している。 | 石灯篭(国重文:白鳳時代)。金堂前に建てられている灯籠は二上山の松香石(凝灰岩)で作られており、高さ2.5m。日本最古の石灯籠。 | 金堂前の影向石。當麻寺が開創された際、役行者は熊野権現を勧請し、この石に熊野権現が出現したと伝わる。 |