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奈良・鎮護の道
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奈良第15番
霊山寺
宗 派 霊山寺真言宗
本 尊 薬師如来

大阪再発見 霊山寺へ
参拝メモ
[参考資料:『奈良・大和の古寺あるき』 実業之日本社]

霊山寺の起源は、右大臣小野富人(小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、672年(弘文元年)官を辞し、この地に閑居していたが、 684年(天武12年)薬師如来を感得。登美山に薬草湯屋を造り、薬師三尊仏を祀ってところ、病気平癒に効能があるとして、富人は人々から「鼻高仙人」と呼ばれ、敬われるようになった。
  728年(神亀5年)孝謙皇女が病にかかった時、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来を祈念すれば、病は治るとのお告げがあり、行基菩薩が代参。皇女の病が快癒した。734年(天平6年)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。
  734年(天平8年)に来日したバラモン僧菩提僊那が登美山の地形がインドの霊鷲山に似ていることから、霊山寺と名付けた。
  平安時代、弘法大師が来寺、真言宗を伝えた。 鎌倉時代には北条時頼の帰依厚く、1283年(弘安6年)本堂の改築、堂塔寺仏の修復新調が行われた。 以後、豊臣秀吉徳川家康が多くの寺領を寄進、寺勢21坊を数えるようになった。
  明治の廃仏毀釈では規模は半減し、200体もの仏像が焼かれたりしたが、昭和に入り、復興し再び隆盛となった。

霊山寺入口 霊山寺本堂
霊山寺の入口。霊山寺は山門がなく、大弁財天の朱塗りの大鳥居が参拝者を迎えてくれる。 霊山寺本堂(鎌倉時代:国宝)。1283年(弘安6年)に改築され、1942年(昭和17年)解体修理が行われている。
霊山寺弁天堂 霊山寺三重塔
大弁財天堂。現世利益の道場として1935年(昭和10年)に建立された。本尊に弁財天の本地仏聖観世音菩薩を祀る。 三重塔(国重文)。 鎌倉期の純和様式で、1283~84年(弘安2~3年)頃に建立された。
霊山寺鐘楼 霊山寺行者堂 霊山寺開山大師堂
鐘楼(国重文)。室町時代初期の建立、袴腰付入母家造りの桧皮葺。梵鐘は1644年(寛永21年)の鋳造。 行者堂。本尊に神変大菩薩(役行者)、脇侍に不動明王と青面金剛を祀る。 開山大師堂。古くは開山行基菩薩を祀っていたが、江戸時代より弘法大師を本尊とし、歴代徳川将軍の位牌を祀る
菩提僊那の墓 奥の院弁天堂 十六所権現
当寺の名付け親である菩提僊那の墓と伝わる。1987年(昭和62年)石塔及び埋葬地と伝わる場所を発掘調査するも、没後500年(鎌倉時代)の供養塔と判明。 本堂より、約1Kmの山道を登ったところにある霊山寺奥之院。弘法大師が留錫の時大龍神の霊験を感得し、大龍神を弁財天として奥之院へ勧請したと伝わる。 十六所権現(国重文)。明治の神仏分離以前は霊山寺の鎮守社であった。社殿は5棟並んでいるが、中央の3棟は棟木墨書によれば、1384年(至徳元年)の建立。
八体仏霊場 黄金殿・白金殿
八体仏霊場。十二支と星座を組み合せ、生まれ年・干支、生まれ日・星座のお守り本尊霊場として、原型制作より
5年をかけ1991年(平成3年)に完成した。
右より、阿弥陀如来、不動明王、大日如来、普賢菩薩、勢至菩薩、文殊菩薩、虚空蔵菩薩、千手観音菩薩を安置
する。
黄金殿(右)・白金殿(左)。黄金殿は大弁財天堂の奥本殿として、1961年(昭和36年)の建立。堂の内外に22回下地漆塗をし、3枚掛の金箔押が施されている。
白金殿は1977年(昭和52年)建立、堂の内外に22回下地漆塗をし、その上にプラチナの箔押が施されている。
ご朱印
霊山寺朱印