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奈良・鎮護の道
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奈良第7番
大和神社
主祭神 日本大国魂大神
(ヤマトオオクニタマノオオカミ)
八千戈大神(ヤチホコノオオカミ)
御年大神(ミトシノオオカミ)
参拝メモ
[参考資料:『由緒略記』 大和神社パンフレット、現地案内板]

大和神社は上古より朝野の崇敬が篤く、延喜式神名帳に「大社 大和坐大国魂神社3座」とあり、二十二社(中七社)の1社で旧官幣大社である。主神は日本大国魂大神は大地主大神(オオトコヌシノオオカミ)で、上古、天照大神と共に宮中内で親祭されたが、第10代崇神天皇6年に天皇が神威をおそれ、天照大神を皇女豊鋤入姫命をして倭の笠縫邑に移されたとき(現桧原神社)、皇女淳名城入姫命(ヌナキイリヒメ)に勅して、市磯邑(大和郷)に移されたのが当社の創建であると伝えられている。 奈良時代、遣唐使は出発に際し、当社に参詣し交通安全を祈願した。万葉集には山上億良が「好去好来之詩」と題して詠っている。
  神符(符戸)も古記録には「大和を始め尾張、武蔵、常陸、出雲、安芸の6ヶ国に於いて327戸に及び、境内も8町四方(64ヘクタール)の拡大なもので、久しい間、社頭は隆盛を極めた。」と見え、伊勢神宮に次ぐ広大な社領を得ていたが、平安京への遷都や藤原氏の隆盛、その後の兵乱などにより衰微した。 1118年(永久6年)火災により神殿・霊形すベてを焼失。天正年間(1573~92年)の兵火で神領の反別書類等すベて焼失し、徳川期には無禄の状態となつた。1871年(明治4年)官幣大社に列した。

大和神社一の鳥居 大和神社拝殿
大和神社一の鳥居 大和神社拝殿
大和神社拝殿から本殿を望む 摂社・高龗神社(タカオオカミ)
大和神社拝殿から奥の本殿を望む 摂社・高龗(タカオオカミ)神社 。高龗大神を祀る。天候・産業を司り、水利を授ける。
大和神社参道 大和神社二の鳥居 摂社・朝日神社
一の鳥居から社殿まで一直線で約400m程ある参道 二の鳥居。一の鳥居と250mほどの所に建っている。 摂社・朝日神社。朝日豊明神を祀る。
摂社・増御子神社 末社・祖霊社 末社・事代主神社
摂社・増御子神社。猿田彦神、天鈿女命、市磯長尾市氏命を祀る。知恵の神で、受験合格・就職、産業開発に霊験あらたか。 末社・祖霊社。祭神は大国主命のほか戦艦大和及び巡洋艦矢矧ほか駆遂艦8隻の戦没者計3721柱を祀ると共に、大国主神氏子崇敬者祖霊が鎮まる。 末社・事代主神社。織物業を繁栄させ、一言の願いごとを叶える。
末社・厳島大神 境外摂社・渟名城入姫神社 渟名城入姫神社お旅所
末社・厳島大神。美容をすすめ、弦楽の技を司どる。水産業を奨める。 境外摂社・渟名城入姫神社。大和神社一の鳥居前の道を南へ約600m行った所にある。渟名城入姫命を祀る。 渟名城入姫神社お旅所。渟名城入姫がこの場所でお祓いを執り行ったと伝える。現在はここで神輿の引き回しが行われる。
ご朱印
大和神社朱印