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奈良・鎮護の道
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奈良第5番
宗 派 華厳宗
本 尊 木造地蔵菩薩半跏像
参拝メモ
[参考資料:『帯解寺パンフレット』、『奈良・大和の古寺あるき』実業之日本社]

帯解寺は空海の師匠でもある勤操大徳が開いた巌渕千房の1院で霊松院といった。平安時代、文徳天皇(在位:850~858年)のお妃染殿皇后(藤原明子)がなかなか子宝に恵まれずにいたが、ある日春日明神のお告げによって、当寺の帯解子安地蔵菩薩に求子祈願し、 無事に惟仁親王(のちの清和天皇)を出産した。これを大変喜んだ文徳天皇は858年(天安2年)に地蔵堂などを建立し、寺号を「無事帯が解けた寺」、「帯解寺」に改めたという。
  その後、1567年(永禄10年)松永久秀の戦火を始め、幾度か戦火に遭うが、徳川家康などの援助により、再興された。徳川二代将軍秀忠の正室お江の方や三代将軍家光公の側室御楽の方が当寺に祈願し、無事お世継ぎの誕生などの折々の瑞祥時には将軍家より、仏像・仏具などの寄進があった。
  近年では美智子皇后(当時妃殿下)や秋篠宮妃殿下、雅子皇太子妃殿下ご懐妊に際し、安産岩田帯、お守りを献納している。

帯解寺山門 帯解寺
帯解寺山門 帯解寺本堂。松永久秀の戦火で焼失した後、2代将軍秀忠の援助で再建されたが安政の大地震で崩壊。現在のものは1858年(安政5年)の再建。本尊子安地蔵菩薩は弘法大師一刀三礼の作と伝わる。
帯解寺鐘楼 帯解寺新御堂
帯解寺鐘楼。吊られている鐘は1966年(昭和41年)に造られた。 帯解寺新御堂。2008年(平成20年)に護摩祈祷復活のため完成。
徳川家綱寄進の手水鉢 帯解寺本坊 帯解寺鐘楼
手水鉢には「寛文二年三月(1662年)」の銘があり
、徳川4代将軍家綱の寄進と伝わる。
本坊。庫裏、書院のと一体となっている。
1570年(元亀元年)頃の再建とみられる。
十三重塔
帯解寺不動堂 水子地蔵と稲荷社 小町の宮
不動堂。波切不動尊を祀る。 境内に建つ水子地蔵稲荷社 境内に建つ小野の宮。小野小町がこの地の北、青井神社で、疱瘡の平癒を祈ったと伝え、当寺にも伊勢神宮や長谷寺参拝の折、「帯解地蔵」へ参拝した伝承が残る。
ご朱印
帯解寺朱印