奈良第20番 | |
祭 神 | 神武天皇 |
媛蹈韛五十鈴媛命 (ヒメタタライスズヒメノミコト) |
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[参考資料:『奈良古寺社辞典』吉川弘文館編] |
神武天皇は第一代の天皇であり、早くより広く景仰されてきたが、近世尊王論が勃興するや、天皇奉祀の神社や山稜の補修が唱えられ、明治政府は新政の大本を天皇の創業の事績に則ることとなり、1872年(明治5年)太陽暦の施行とともに、天皇の即位紀元が行われ、1889年(明治22年)2月11日の紀元節に大日本帝国憲法が公布された。 その頃、奈良県高市郡の人々が橿原宮の遺跡に天皇奉斎の神社の創建を請願し、同年7月聴許、京都御所の内待所(温明殿)を神殿(本殿)に神嘉殿を拝殿に賜った。翌1890年(明治23年)3月には祭神・社号・社格が定まり、同年4月官幣大社として鎮座祭が行われた。 1940年(昭和15年)紀元2600年に際し、本殿を除く諸殿の新築、境内の拡張整備、競技場の開設など、大いに内外が整備され、この年の参拝者は1000万人に達したという。 2016年(平成28年)が神武天皇崩御2600年に当たるとのことで、その式年行事の一環として、本殿の屋根の葺替工事が行われた。工事が終わった2015年10~11月に新装なった本殿が一般公開が行われ、これに参加したが、写真撮影は禁止であったため、写真ではお伝えすることは叶わなかった。 |
畝傍山東側全景。麓の北側に神武天皇陵、南側に樫原神宮が広がる。 | 表参道に建つ一の鳥居。木造で高さ9.77m、幅約7.5mの大鳥居。 |
外拝殿。紀元2600年の記念事業の一環として、1939年(昭和15年)に造営された。 | 内拝殿。紀元2600年の記念事業の一環として、1939年(昭和15年)に造営された。京都御所より移築された神嘉殿は神楽殿として移築。 |
表参道二の鳥居。高さ10.51m、幅約8.1mで一の鳥居より大きい。 | 西参道入口の鳥居。 | 北参道入口の鳥居。 |
南神門。表参道を進んでいくと、ここに出るため、参拝者の多くのはこの門から出入りする。 | 神楽殿。現在の神楽殿は1996年(平成8年)の再建。 京都御所より移築された神嘉殿は1993年(平成5年)火災により焼失した。 |
普段は立ち入ることが出来ない内拝殿に多くの人が立ち入っていた。特別な行事の際は特別参拝ができるらしい。内拝殿の後ろの建物は幣殿の屋根。 |
末社長山稲荷社。参道(上の写真)と社殿(右の写真)。宇迦能御魂神・豊宇気神・大宮能売神を祀る。 長山神社は橿原神宮鎮座以前から当地長山の地主神として祀られ、厄除開運・五穀豊穣・商売繁盛の霊験あらたかな稲荷社。2010年(平成22年)樫原神宮鎮座120年に際し、社殿が整えられた。 |
北神門。1915年(大正4年)の造営。もとは正門(南神門)として作られたが、1940年(昭和15年)に現在地に移された。南神門に比べこの門から出入りする人は少ない。 | |
西参道を入ったところにある新撰田。 橿原神宮で年間をを通して、神前に奉られる神饌の米が作られており、田植・稲刈などの儀式が古式によって執り行われる。 |
橿原神宮南側に広がる深田池。 深田池は大和川水系に属し、奈良時代には築造されたと伝える。面積は約4万9500㎡(約1万5000坪)。対岸までの遊歩道が整備されている。 |
毎年年末近くになると外拝殿に飾られる来年の干支の大絵馬(高さ4.5m、幅5.4m) 。 |
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