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奈良・鎮護の道
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奈良第9番
宗 派 光明宗
本 尊 十一面観音
参拝メモ
[参考資料:法華寺ホームページ、『奈良・大和の古寺あるき』実業之日本社]

法華寺は光明皇后が父藤原不比等の邸宅跡に創建した寺院である。720年(養老4年)不比寺が歿し、光明子がここを継ぎ、後に皇居宮とした。741年(天平13年)聖武天皇により、国分寺・国分尼寺の詔が出され、745年(天平17年)5月、皇后宮を宮寺としたのが法華寺の草創とみることができ、「法華寺」の名が正史に現れるには、747年(天平19年)である。
  東大寺・金光明護国之寺に対し、総国分尼寺・法華滅罪之寺とされ、当時は七堂伽藍を備え、入寺する尼僧が後を絶たない程の大寺であったが、平安遷都に伴い寺勢は次第に衰退した。1180年(治承4年)平重衡の南都焼打ちで、法華寺も大きな被害を受けた。
  鎌倉時代になって、西大寺中興の祖叡尊が法華寺の復興にも力を入れ、寺内に戒壇を設け、尼僧たちに授戒を行った。
  室町時代には1499年(明応8年)、1506年(永正3年)と相次いで兵火に遭い、加えて大地震や火災により、昔日の面影を偲ぶものは殆ど無くなってしまったが、桃山時代になり、豊臣秀頼と母・淀君の発願で片桐旦元が奉行となり、1601年(慶長6年)から7年をかけ、本堂・鐘楼・南門・築地などが再建され、現在に至っている。

法華寺南門 法華寺本堂
法華寺南門(国重文)。1601年(慶長6年)豊臣秀頼と淀殿の寄進で再建された。 法華寺本堂(国重文)。南門と同時に再建された。本尊の十一面観音(国宝)を安置する。
法華寺護摩堂 法華寺鐘楼
法華寺護摩堂。この建物は法華寺内で最も新しく2003年(平成15年)の建立。 法華寺鐘楼(国重文)。鬼瓦に1602年(慶長7年)の刻銘がある。
法華寺赤門 横笛堂 薬師堂
法華寺赤門。参拝者はここから出入りする。 横笛堂。『平家物語』や高山樗牛の『滝口入道』の悲恋の女性・横笛が尼となった後に住んだとされる建物 。 薬師堂。薬師如来を安置する。
山部赤人の歌碑 喜市稲荷大明神 会津八一の歌碑
山部赤人の歌碑(万葉集巻三378)。1995年(平成7年)建立。『いにしえの古き堤は年深み 池の渚に水草生ひにけり』 境内に祀られている喜市稲荷大明神 会津八一の歌碑『ふじわらのおおき きさきをうつしみに あひるみるごとく あかきくちびる』
ご朱印
法華寺朱印