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奈良・鎮護の道
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奈良第14番
中宮寺
宗 派 聖徳宗
本 尊 弥勒菩薩
参拝メモ
[参考資料:中宮寺パンフレット]

大和三門跡寺院の1つ、中宮寺は聖徳太子の母である穴穂部間人皇女の発願により創建され、その旧地は現在の東方約500m程のところに土壇として残っており、1963年(昭和38年)の発掘調査で南に塔、北に金堂を配した四天王寺式伽藍配置であったことが確認されている。
  その後、平安時代には寺運衰退し、僅かに草堂一宇と菩薩半跏像を残すのみとなった。鎌倉時代に入り、中興信如比丘尼の尽力により天寿国曼荼羅を法隆寺宝蔵内に発見して取り戻すなど、いくらかの復興を見たものの、往時の盛大さには比すべくなかった。
 旧地では室町時代の瓦が出土しており、その頃までは法灯が続いていたようであるが、度々火災に遭い、法隆寺東院の山内子院に避難し、その後旧地に戻ることは叶わなかった。
  天文年間(1540年頃)伏見宮親王の皇女尊智女王が入寺し、以来尼門跡として、次第に寺観を整えたのが今の伽藍である。 宗派は、鎌倉時代は法相宗、その後は真言宗泉湧寺派に属し、戦後は法隆寺を総本山とする聖徳宗に属している。

中宮寺山門 中宮寺金堂
中宮寺山門。1825年(文政8年)建立。
普段の出入りは左横にある脇門(写真には写っていない)を利用する。
中宮寺本堂。1968年(昭和43年)5月の再建。
本尊は木造菩薩半跏像(国宝)。天寿国繍帳残闕(国宝)は普段は
レプリカが安置されているが、参拝した当日は特別展示のため、本物
が安置されていた。
中宮寺大玄関 中宮寺表御殿
上の写真の山門の正面にある大玄関。
右の写真の表御殿とは渡り廊下でつながっているようだ。
本堂の北側に建つ表御殿(国の重要文化財)。元は江戸時代初期の
建立と推定されるが1822年(文政5年)に2軒にし、現在の姿となった。
中宮寺金堂 中宮寺位牌堂 香淳皇后の歌碑
本堂の周りに山吹が植込まれている。花の満開には時期がちょっと早すぎた様だ。 中宮寺位牌堂。 香淳皇后の歌碑。「中宮寺の つい地のうち尓 しつもりて ささんくわの花 清らかにさく」
会津八一の歌碑 中宮寺旧跡 中宮寺旧跡
会津八一の歌碑。平成22年の建立。「みほとけの あごとひぢとに あまでらの あさのひかりの ともしきろかも」1920年(大正9年)に詠まれた。 中宮寺跡(国史跡)。1963年(昭和38年)に初めて発掘調査が行われ、その後昭和47年から昭和62年にかけ、5次にわたって確認調査が行われた。出土遺物としては創建瓦の単弁蓮華文軒丸瓦をはじめ、飛鳥時代から室町時代までの瓦があり、飛鳥時代創建の法隆寺若草伽藍とほぼ同時期に建立されたことは確かであるとしている。
ご朱印
中宮寺朱印