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京都・楽土の道
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当尾の石仏

岩船寺へ 浄瑠璃寺へ
史跡メモ
[参考資料:『石仏を訪ねる道』木津川市加茂町商工会発行パンフレット]

奈良県との県境付近は古くから奈良仏教の影響を受け、平安時代後期には世俗化した奈良仏教を嫌う多くの僧侶が隠遁の地として、この当尾の地に草庵や行場を設け、仏教修行にいそしんでいたと伝­えられている。
  また、岩船寺から浄瑠璃寺に至る古道は「石仏の道」でもある。この辺りは花崗岩に恵まれ、鎌倉時代後期から室町時代にかけて、多くの磨崖仏が造立され、繊細で芸術性の高い石仏が現在でも多く点在する。

下記の文中で造立年号(不明分も含め)の記載は、「現地案内板」の銘文解説による。
阿弥陀三尊磨崖仏(笑い仏) カラスの壺二尊のうち「阿弥陀仏磨崖仏」
阿弥陀三尊磨崖仏(笑い仏)」(京都府指定文化財)1299年(永仁7年)。当尾の石仏群の中で最も有名な石仏である。 カラスの壺二尊のうち、正面の「阿弥陀磨崖仏」1343年(康永2年)。銘文によれば側面の「地蔵磨崖仏」とは願主が異なっている。
薮の中三尊磨崖仏 ミロクの辻 弥勒磨崖仏
薮の中三尊磨崖仏」1262年(弘長2年)。正面に地蔵菩薩、向かって右に十一面観音、左側は阿弥陀如来。銘文の弘長2年は当尾の石仏年号で最も古い。 ミロクの辻「弥勒磨崖仏」(京都府指定文化財)1274年(文永11年)。笠置寺にある弥勒磨崖仏を忠実に写したものとして有名。

阿弥陀如来磨崖仏(長尾のあみだ) 首切り地蔵(阿弥陀石仏) カラスの壺二尊のうち、「地蔵磨崖仏」
阿弥陀如来磨崖仏(長尾のあみだ)」1307年(徳治2年)。浄瑠璃寺の近く、県道沿いにあり、立派な屋根石と美しい台座を持つ。 首切り地蔵(阿弥陀石仏)」1262年(弘長2年)。上の「薮の中三尊磨崖仏」同様、当尾の在銘石仏では最も古い。 カラスの壺二尊のうち、側面の「地蔵磨崖仏」。
あたご灯篭 岩船不動明王磨崖仏 岩船不動明王磨崖仏アップ
あたご灯篭」江戸時代。この時代には変わったデザインの灯篭が造られた。火伏の神、愛宕神社への献灯篭。 岩船不動明王磨崖仏」(京都府指定文化財)1287年(弘安10年)。上の写真は全景、右の写真は不動明王部分のアップ。たった1つだけ、一生懸命にお願いすれば叶えて貰えるという一願不動さん。
仏谷 阿弥陀磨崖仏 仏谷 阿弥陀磨崖仏のアップ 三体地蔵磨崖仏
仏谷 阿弥陀磨崖仏」年代不明。像容から見て、鎌倉時代初期と推定(奈良時代説もある)。大門仏谷にあり、丈六(約2.5m)の如来形の座像。当尾の石仏中、最大の磨崖仏。現在は磨崖仏の近くに行けず、谷を挟んで拝所がある。 三体地蔵磨崖仏」年代説明なし。