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京都・楽土の道
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京都第4番
教王護国寺
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参拝メモ
[参考資料:『日本歴史地名体系』(京都府の地名編)平凡社、『現地案内板』]
教王護国寺・1で紹介できなかった建物などを追加しました。
蓮花門 灌頂院東門
蓮花門(国宝)。本坊西側、壬生通りに面して建つ。鎌倉時代初期の建久年間(1190~99年)の再建と伝えられ、現存する東寺の諸門のうち、最古の門である。 灌頂院東門(国重文)。鎌倉後期の創建。
灌頂院(国重文)は密教での重要な道場で、843年(承和10年)の創建。1585年(天正13年)の地震で大破し、1633年(寛永10年)に修復され、昔の姿を現在に伝えている。
北大門 東大門
北大門(国重文)。鎌倉時代前期に再建、1601年(慶長6年)に修補されている。 東大門(不開門:国重文)。創建年代は不明。現在の建物は1198年(建久9年)の再建。1336年(建武3年)新田義貞が東寺に陣を布いていた足利尊氏を攻めたが、尊氏は東大門を決して開かず、危うく難を逃れたという。

東寺境内 勅使門 慶賀門
東寺境内。本坊と金堂・講堂の間に広がる境内は弘法さんの時は出店で埋め尽くされる。 勅使門。1936年(昭和9年)弘法大師1100年遠忌の記念事業として、後ろに見える小子坊と共に再建された。 慶賀門(国重文)。鎌倉時代前期の創建。東寺の境内北東角、大宮通りに面して建つ。
西門 太元堂 弁天堂
西門。慶賀門とは境内を挟んで反対側の北西角、壬生通りに面して建つ。 太元堂。大元帥明王と四天王を祀る。北大門を出たところにある。 弁天堂。音楽・技芸・財産を司る弁財天を祀る。北大門を出たところにある。
夜叉堂 天降石 天降石
夜叉堂。夜叉神像は弘法大師の作と伝わる。桃山時代の建立。現在は食堂の前に建っているが、最初は南大門の左右に安置。その後、中門の左右にが、1596年(慶長元年)に中門が崩壊後、現在の場所に移された。 天降石。西院毘沙門堂の横にある。石を撫ぜた手で、身体の悪い箇所を撫ぜると病が治ると言われる。江戸時代には護法石(五宝石)、或いは不動石と呼ばれていたが、いつの頃からか天降石と呼ばれるようになった。 尊勝陀羅尼碑の亀趺の部分。亀趺の上に載る石碑は碑文の表面の剥離が進み、現在修復中。石碑は元は北野天満宮の宗像社の傍に1853年(嘉永6年)に比叡山の僧願海により建てられが、明治初年の神仏分離令により、この場所に移された。
八嶋殿 八幡宮拝殿 八幡宮本殿
八嶋殿。南大門を入って右側に鎮座。この社は東寺以前より鎮座されて入り、鎮座祭神は当寺の地主神とも、大己貴神とも言われる。弘法大師は伽藍建立に先立ち、寺門造立成就、方位安全、法道繁栄を祈願したと伝わる。 八幡宮拝殿(上の写真)。八幡宮本殿(右の写真)。796年(延暦15年)の創建。平安京と東寺を守護するため祀られた。1868年(明治元年)に焼失、1991年(平成3年)に123年振りに再建。本尊は弘法大師の作と伝わる僧形八幡神座像と女神座像2躯を祀る。足利尊氏が東寺を本陣としていたとき、鎮守八幡宮の神殿から流鏑(かぶらや)が新田勢に向かって飛び、勝利を収めたとの故事が残る。