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京都・楽土の道
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京都第4番
教王護国寺
宗 派 東寺真言宗総本山
本 尊 薬師如来
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参拝メモ
[参考資料:『日本歴史地名体系』(京都府の地名編)平凡社、『現地案内板』]

教王護国寺は東寺という名の方が通りが良い。平安京遷都に伴い、西寺と共に造営された二大官寺の1つである。造営着工は、南北朝時代に杲宝(ごうほう)が編纂した東寺の歴史書『東宝記』(国宝)によれば、796年(延暦15年)大納言藤原伊勢人が造東寺長官に任ぜられたとある。

823年(弘仁14年)嵯峨天皇は東寺を空海に永く給う勅命を下し、 空海は真言僧50人を常住させ、真言密教の寺院とした。下賜された当時は金堂が竣工していたが、空海によって五重塔・講堂の建設が着工されるなど、伽藍が整備されていった。835年(承和2年)空海入滅後は、 その遺影を中心に厚い信仰帰依を得、真言密教の一大霊場としての展開を見た。空海以後、平安時代の終末にかけ、寺運は徐々に衰退し、金堂・講堂・食堂・灌頂院などの主要建物の破損も進行したが、 鎌倉時代に入り、源頼朝の外護や、僧文覚の活躍により、後白河法皇の援助を得て、東寺復興が進んだ。

その後も、時々の政権者の厚い外護を得て、最盛期を迎えた。室町時代には、しばしば政争や戦乱に巻き込まれ、1486年(文明18年)には土一揆により、火災に見舞われ、多くの堂宇が失われたが、秀吉・秀頼が復興に力を入れ、金堂の竣工を見た。徳川幕府も厚い保護政策をとり、五重塔の復旧や灌頂院の再建が図られた。

東寺南大門 東寺五重塔
東寺南大門(国重文)。1601年(慶長6年)創建。元にあった南大門は1868年(明治元年)に焼失、現在のものは1895年(明治28年)に三十三間堂の西門を移築し、東寺南大門としたのが現在に至っている。 東寺五重塔(国宝)。総高約55m、現存する日本の塔の中では最も高い。最初の塔は元慶年間(877~85年)に建てられて以来、4度落雷などで焼失している。現在の塔は1635年(寛永12年)に焼失後、1644年(寛永21年)に再建された。
東寺金堂 東寺御影堂(大師堂)
東寺金堂(国宝)。創建は796年(延暦15年)と言われるが定かでない。1486年(文明18年)土一揆で焼失、現在の金堂は豊臣秀頼により1603年(慶長8年)に再建された。 東寺御影堂前堂(北面)(大師堂:国宝)。境内の西北にある西院の一部で、かっては空海の住房があったと伝わる。1379年(康歴元年)の火災で焼失し、その後再建された。この御影堂前堂には弘法大師像(国宝:仏師康勝作)が安置されている。

東寺遠景 東寺講堂 東寺食堂
東寺南大門と五重塔を望む。
東寺の南西角、壬生通りの陸橋の上から撮影。
東寺講堂(国重文)。825年(天長2年)の創建と伝わる。1486年(文明18年)土一揆で炎上し、1491年(延徳3年)再建。1596年(文禄5年)の地震で大破、1596年(慶長3年)北政所が復元修理した。 東寺食堂。創建年代は不明だが、843年(承和10年)に伝法灌頂の記録がのこり、その頃までには完成していた。1930年(昭和5年)の火災で焼失、現在の建物は1933年(昭和8年)に竣工。
東寺本坊 御影堂後堂 大日堂
東寺本坊。本坊の表門には「真言宗総本山教王護国寺事務所」の木札がかけられていた」。 御影堂後堂(国宝)。御影堂(大師堂)の東南部より撮影。後堂(北面)には空海の念持仏である秘仏の不動明王像(国宝)が祀られている。 大日堂。役行者作と伝わる胎蔵界大日如来を祀る。
1698年(元禄11年)御影堂の礼拝堂として建立された。当時は一般の参拝者は御影堂には入れず、ここから弘法大師を拝した。
毘沙門堂 三面大黒天
毘沙門堂。元は都の守護神として羅城門に安置されていた兜跋毘沙門天立像(国宝)を978年(天元元年)の台風で羅城門が崩壊の後、東寺に移し食堂に安置していたが、1822年(文政5年)現在の堂を建立し、安置した。 大黒堂。西院、御影堂の西側に建つ。三面大黒天を祀る。三面大黒天とは大黒天、毘沙門天、弁財天の三体が合併した像で、弘法大師作と伝わる。三尊のご利益が一度に授かるという。 不動明王。この堂宇は左の大黒堂の北側に祀られており、安産祈願にご利益があるという。
鐘楼 経堂 宝蔵
御影堂の前の鐘楼。かってここに吊り下げられていた鐘は「足利尊氏寄進の鐘」と伝わり、『東宝記』には1348年(貞和4年)に完成したと記載されている。以来660年間東寺の開門を告げてきた鐘は痛みがひどくなり、宝物館に保管されている。現在の鐘は1992年(平成4年)に新しく造りなおされた。 一切経堂。西院、御影堂の西側に建つ。 宝蔵(国重文)。慶賀門を入った左手に建つ。建立年代は定かではないが、創建当時は南北二棟存在した。1000年(長保2年)と1126年(大治元年)に焼失、1198年(建久9年)に文覚上人が再建したと伝わるが、解体修理の結果、東寺創建に近い頃の建立と考えれれる。
小野道風ゆかりの柳
小野道風ゆかりの柳」。との看板が立っていた。
平安時代の能書家・三跡の一人、小野道風がスランプに陥っていたとき、蛙が柳に飛び付く様を見て、自分の努力の足りなさを自覚したという故事があるが、この柳がその柳なのかは、説明がなかった。
瓢箪池。金堂・講堂の東側に広がる庭園の中ほどにある池。 不二桜(八重紅紅しだれ桜)。樹齢120年、樹高13m。エドヒガン系の園芸品種で、平成18年、弘法大師帰朝1200年を記念して、三重県鈴鹿市の農園より譲り受け、移植した。


ご朱印
教王護国寺朱印