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京都・楽土の道
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京都第46番
醍醐寺2
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醍醐の花見
[参考資料:小学館ウィークリーブック 『古寺を行く・醍醐寺』]

1598年(慶長3年)春、豊臣秀吉秀頼北政所淀殿ら豊臣一族と、諸大名など約900名を従えて「醍醐の花見」を催し、山内の桜馬場から槍山にかけて、華やかな宴が繰り広げられた。
  秀吉は前年の慶長2年に醍醐寺を訪れた時に、花見の構想を告げ、年が明けると準備が始まった。秀吉は槍山から西大門まで、350間(約630m)の道の両側に3月15日と決めた花見の日に咲く桜を植込むことを命じ、近隣の諸国から700本の桜が運び込れたという。
秀吉はこの醍醐の花見から約半年後に没する。
  この秀吉の花見に因んで、1952年(昭和27年)から毎年4月の第2日曜日、醍醐寺境内ののサクラが満開の頃、花見行列が模様される。太閤役は毎年、地元経済人や文化人から選ばれ、華麗な桃山時代の衣装を纏った約200名の男女を率いて、唐門から練り歩く。
今年(平成24年)は4月8日に開催され、多くの人で賑わった。

本日の主役 豊臣秀吉 豊臣秀頼 義演僧正
今年の秀吉役は、老舗の京つけもの「西利」の会長が務めた。 豊臣秀頼。慶長3年と言えば、秀頼は5歳だったので、ちょうどこのぐらいの年恰好だった。 義演僧正
金堂の前で記念撮影 暴漢と戦う淀殿 清滝宮拝殿横の桜
金堂の前で記念撮影。 突然、暴漢が秀吉に襲い掛かってきたが、淀殿がバッタバッタと敵を切り捨てた。この殺陣のチーム(淀殿も含め)は京都映画村の役者さんとのこと。 清滝宮拝殿横の桜
三宝院唐門から花見行列の出発 山伏姿のご一行 地元の子供達
塔頭の三宝院唐門から花見見物の行列が出てくる。 山伏姿のご一行。 地元の子供達。
金堂横のしだれ桜 子供達の踊り 舞楽の奉納
金堂横のしだれ桜 金堂前の特設舞台で踊りを披露する子供達(上の写真)。その他舞楽 (右の写真)、狂言などが演じられた。
桜見物の人達 桜見物の人達 桜見物の人達
西総門(上の写真)から西大門(右側の写真)までの参道は見物人で埋め尽くされ、身動きが取れない。