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京都・楽土の道
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京都第46番
醍醐寺1
宗 派 真言宗醍醐派総本山
本 尊 薬師如来
醍醐の花見へ
大阪再発見・醍醐寺へ
参拝メモ
[参考資料:小学館ウィークリーブック 『古寺を行く・醍醐寺』]

醍醐寺は寺伝によれば、874年(貞観16年)理源大師聖宝が霊感を得て、笠取山(醍醐山)に登り、准胝・如意輪両観音を造って祀ったのが最初という。 907年(延喜7年)には醍醐天皇の御願寺となって飛躍的に発展し、薬師堂など多くの伽藍が甍を競い、山岳寺院に相応しい寺容を整えた。926年(延長4年)下醍醐に釈迦堂(金堂)建立され、真言密教、修験道の寺として隆盛を極めた。
  院政期には醍醐天皇からでた源氏の座主が続き、真言宗小野流の中心寺院として栄えた。14代座主勝覚の時、三宝院が建立され、江戸時代に入ると当山派修験の法頭として、修験者を統括した。
  鎌倉時代以降、武家政権の庇護を受けて寺勢を伸ばしたが、応仁の乱で下醍醐の伽藍は五重塔を除いて全焼。一時衰えた寺運は80代座主義演准后豊臣秀吉の積極的な援助を受けて復興した。秀吉没後も秀頼の寄進を受け諸堂の再建がなされた。

醍醐寺西大門 醍醐寺金堂
西大門(仁王門)。豊臣秀頼が1605年(慶長10年)に再建。
安置されている仁王像(重文)は、平安後期の1134年(長承3年)に仏師勢増・仁増によって造立。
金堂(国宝)。現在の金堂は豊臣秀吉の支援により、紀州湯浅の満願寺の本堂を解体・移築、1600年(慶長5年)に完成した。
醍醐寺五重塔 醍醐寺清滝宮
五重塔(国宝)。醍醐天皇の冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の951年(天暦5年)に完成した。現存する京都府最古の木造建築物。 清瀧宮本殿 。醍醐寺の総鎮守清瀧権現を祀る鎮守社で1097年(永長2年)に、上醍醐より分身を移し祀る。現在の社殿1517年(永正14年)の再建。
醍醐寺清滝宮拝殿と五重塔 醍醐寺真如三昧耶堂 醍醐寺祖師堂
清瀧宮拝殿(手前)と五重塔。清瀧宮拝殿は1599年(慶長4年)、義演准后により整備が施された。 真如三昧耶堂。元は朱雀天皇の御願により法華三昧堂として949年(天暦3年)に創建されたが、1470年(文明2年)に焼失。1997年(平成17年)に復興、建立。 祖師堂。1605年(慶長10年)義演准后により建立された。弘法大師・空海と理源大師・聖宝を祀る。聖宝は空海の実弟真雅の弟子で、空海の孫弟子になる。
醍醐寺不動堂 醍醐寺旧伝法学院 醍醐寺大講堂
不動堂。醍醐天皇一千年御忌を記念し、1930年(昭和5年)に造築。 旧伝法学院。仏道修行に志すものの錬成道場で、醍醐天皇一千年御忌を記念し、1930年(昭和5年)に造築。 大講堂。醍醐天皇一千年御忌を記念し、1930年(昭和5年)に造築。阿弥陀如来坐像、大日如来坐像を祀る。
醍醐寺弁天堂と大林泉 醍醐寺鐘楼 上醍醐への登山口
弁天堂(弁才天を祀る)と大林泉(池を中心とした庭園)。醍醐天皇一千年御忌を記念し、1930年(昭和5年)に造築。 鐘楼。醍醐天皇一千年御忌を記念し、1930年(昭和5年)に造築。 上醍醐への登山口。
⇒大講堂の前の「案内板」によれば、大講堂を中心に広がる大林泉及び弁天堂、鐘楼、地蔵堂、伝法学院などを総称して大伝法院といい、これらの建物は一篤信家が造築、寄進されたという。
ご朱印
醍醐寺朱印