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兵庫・豊穣の道
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兵庫第15番
中山寺
宗 派

真言宗中山寺派大本山

本 尊 十一面観音立像
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大阪再発見・中山寺へ
参拝メモ
[参考資料:『日本歴史地名体系』(兵庫県の地名編)平凡社&現地案内板]

寺伝では聖徳太子の創建と伝え、(593年)に先立つこと4年と言われる。文武天皇(697~707年在位)のころ、大和長谷寺開山徳道上人が始めた観音巡礼の、日本最初の観音霊場され、発祥地の一所という。天正年間に荒木村重の乱で、金堂以下の諸堂がことごとく焼失。1603年(慶長8年)豊臣秀頼の寄進により再建された。当時の棟札によると金堂・鎮守三社・太子堂・護摩堂・十王堂・楼門などとしているが、楼門は豊臣時代には完成せず、徳川時代に入っての完成を見た。

本尊が広く女人を救済する観音菩薩であることから、安産祈願の寺として知られる。また、聖徳太子が女人済度のために著したとされる『勝鬘経義疏』を講讃する聖徳太子像も祀られ、多田城主源行綱の不信心な妻が戒めのため釣り上げられたとの伝承も残され、女人の髪で編んだという鐘の緒も残されている。明治天皇の誕生以来皇室の祈願所としても知られるようになり、明治後期の阪鶴鉄道(現JR福知山線)や、箕面有馬電気軌道(現阪急宝塚線)の開通とともに近畿一円はもとより、全国から集まる多くの参詣者で賑わいを見せている。

中山寺山門 中山寺本堂
中山寺山門。
別名「望海楼」と呼ばれる。1646年(正保3年)の竣工。秀頼が発願し、豊臣・徳川の二代にわたっての施工がなされた。
中山寺本堂。
本尊の十一面観音立像(国指定重要文化財)は平安前期の作で、足柄に1244年(寛元元年)「仏師法橋快成」の銘(修理銘か)がある。
中山寺多宝塔 中山寺五重塔
中山寺大願塔。2007年(平成19年)の建立。
地階に位牌室、地上階には70人余を収容が可能な祈祷室がある。
中山寺五重塔。
2017年(平成29年)3月に落慶の最も新しい建物。
楊門から本堂を望む 五重塔の全景。 鐘楼
山門から本堂の方向を望む。新しい五重塔が見える。 五重塔の全景。 鐘楼。
閻魔堂 五百羅漢堂 阿弥陀堂
閻魔堂。
閻魔大王が祀られている。

五百羅漢堂。
開創1400年を記念して、1997年(平成9年)に建立された。堂内には釈迦如来を本尊として、その弟子の羅漢を700有余体を配し、釈迦の説法を聞く姿を再現している。
阿弥陀堂。
「納骨回向所」の札が掲げられていた。

護摩堂 開山堂 大師堂
護摩堂。豊臣秀頼の再建。
建築様式は桃山時代の僧堂様式を遺しており、兵庫県指定文化財となっている。本尊の不動明王座像は平安後期の作。須弥壇上に四大明王を配し、五大明王の形式をとっている。
開山堂。
中山寺開基の聖徳太子を祀る。聖徳太子16歳の時、仲哀天皇の后大仲姫とその子忍熊王の鎮魂供養のため、この地に中山寺を創建した。この堂は阪神大震災後隣接する護摩堂を参考に新築された。
大師堂。
真言宗の宗祖弘法大師を祀る。堂内には西国三十三観音霊場の御土砂を安置し、御砂踏みの行場となっている。
ご朱印
中山寺朱印